贖罪と命

 というゲームを紹介されたのでプレイした。一言で言えば面白かったし、読めて良かったとなった。あーわかるなーと。猫の虐待はやめてください。否が応でも悲しくなる。物語の登場人物は、猫を殺してしまう。猫を殺すということがなんらかの契機になるな、といつも思っています。良い文章を読めて良かった、文章がうまくて本当に読み応えがありました。本を読む際に求める充足感を感じられ、とても満足しています。

 手記1は主人公が弟を殺します。殺したと書かれているのだから殺したんだと思います。主人公が弟を黒い霧であったと記述しているところに卑怯さを感じました。そんなはずはないのですが、主人公は確かに弟を黒い霧だと認識して、それを振り払おうとして殺してしまったと。だから僕は、僕のうちになんらかの欠陥を抱えていて、それが原因であるから黒い霧が見え、弟を殺してしまったんだ。僕は悪くない。しかし主人公はその狡さも自覚しているんだと思います。罪悪感に苛まれているので、やはり心のうちでは弟を愛する気持ちもあったのでしょう。人間には相反する感情が必ずあるものなので不思議ではありません。でも口では可愛いとか天使とか言っときながら実際そんなこと1ミリも思ってなかったことは確実です。

 手記2では施設での主人公と弟とKという怖い女の子と木村という変な奴が出てきます。あのさ!!!ロリータ読む女子とかぜってーモテねえだろ。Kお前どうせロリータをエロ本だと思って読んだろ。残念だったな。でも読んで何かしら感じるところがあったのなら良かった。女の子がロリータを読むってことはおそらく自分がロリータとしてまだ価値があるとわかっていたからなのでしょうね。Kのカリスマっぽさもなんとなく感じ取れました。ナボコフなんか読む卑屈さと女の子らしい開けっぴろげさをうまーくコントロールできるから、魔性の女になれたのです。これ以上ロリータについて話すとあらぬ疑いがかかるのでもうやめます。

 主人公は眼球を舐められてドキドキしますが、まあ女の子から突然そんなことされたらそうなりますよね……。木村もお前、やるな……。施設長のキャラクターが脇役ながら立っていて良かったです。張り付いた笑みの感じ。自分も不登校の時にそういう人間と多々会ったことがありますが笑みが完璧なのでどこか不安にさせるんですよね。でも悪い人たちではないです。絶対に。その善意が自分にだけ向けられないというだけで。

 大学生ボランティアが出てくる下りはかなり心が痛かったです。だってあいつらは普通に子供をルックスや愛想で差別するクズみたいな奴らなのに子供たちは少しでも構ってもらおう、わかってもらおうとするんですよ。でも往往にして良い結果にはならない。良い例が主人公とミナミという大学生の会話です。大学生は主人公の発言により傷を負って泣いてしまいます。施設長はうまくその場をとりはからいます。これは勝手な妄想ですが、大学生たちはその後レポートでもっともらしく傷を抱えた子供たちとの”ふれあい”を描くのでしょうね。吐き気がしますよねー。

 手記3では主人公に彼女ができます。こういういい人じゃないと主人公の彼女にはなれないなと思いました。その彼女を自ら手放すのも自分を損なう行為の一つなのでしょう(この表現がとても好きです)。自傷しながらも生きながらえる主人公。なんかそれじゃダメだし、彼女と僕は違う世界に生きているような気がする、そんな思いを抱えた主人公は彼女との別れを決意します。主人公は彼女の納得する別れの説明は言えません。でも彼女は去ってくれた。優しいです。女の人は付き合えば好きになってしまう。男の人はそうでもない。みたいな感じなんでしょうかね。まあなるようにしかなりませんよね。多分彼女に主人公の思考回路はわからないが、とにかく主人公が幸せになるんだったらいい、という思いで、申し出を受け入れたのかなと思います。

 最後の手記4では、主人公は弟を殺したことについて自首することに決めます。

 流れはこのようになっています。自分は今この作品を読み終わったばかりで文章がかなり雑になっていますし、読み間違い、理解のできていない箇所がありましたら本当に申し訳ありません。きちんとした文章に直そうとも思ったのですが、フレッシュな感想の方が個人的に書き易かったので、このまま行きます……

 作者様はサルトル「大戦の週末」を意識しているとブログでおっしゃっているのを発見しました。私は実存主義について詳しいわけでもないですし、その辺について突っ込んで感想を言うことはできませんが、私の少ない知識で言及するならば、生きているのだからそれに意味づけをする、と言う点において主人公はかなり葛藤していたのかなと思います。だから途中何回も死のうとしていた(が、中断するなり死ねなかったりしていた。私はここについては、単に気持ちが弱いから死ねなかったんじゃなくて痛かったから反射的に無理だっただけでは、と思いました。死にたいのと痛さを我慢できる能力は別なんじゃないかと思います。どうでも良いですが…)。

 私の頭にちょっと浮かんだのはサルトル「嘔吐」の栗の木の根元を見た時の文面でした。あの文章はかなりぐにゃぐにゃしていて読んでいる方までめまいがしてきそうなものでした。この贖罪と命という作品はまさにそのぐにゃぐにゃ感を追求したものなのではないかと思いました。つまり、自分が存在している、海が、ヒトデが存在している、ということについての気持ち悪さです。それには全く意味はありませんが主人公は人間ですからなんらかの意図を感じ取ってしまったのではないかと思いました。だから最後、自首することで自分が生きるという意味づけをしたのかな、と理解をしました。だから主人公は本当は真面目なんだけれども、やっぱガードレールに母性のような白い安心感を抱いてしまうので、なかなか不真面目になることが難しいんですよね。タルコフスキーノスタルジアも文中に出てきました。惑星ソラリスしか見たことがありませんが、あの白くてふわふわして行き所がない感じは、この作品に共通した部分があるな、なんて思ったりしました。主人公が人殺しに罪悪感を感じるのはドストエフスキーの作品を思い出しました。カラマーゾフとか罪と罰とか。私がいつも個人的に思うことは、やはり人殺しに罪悪感があった方がドキドキするな、興奮する、というなんとも下世話なことです。しかし、これらの作品はかなりこちらの心の虚を突いてくる感じがしますし、贖罪と命もまたそうです。

 結論としては、私は非常に主人公の気持ちについて(嫌悪感を感じつつ)入り込むことができました。それは文章力の高さとよく考え込まれた比喩表現からなるものだと確信して言えます。この文章は理解しがたいと意見があるのもわかります、しかし多かれ少なかれ人はそういう部分を持っているものだと思います。ただ、主人公はその部分が多すぎた。わからなくもないんですけど20過ぎてそれだとマジで生きづらそうですね…
 最後に、万年筆と神経毒というサークル名がかっこよすぎてはあ…となってしまったので、起動を強くお勧めします。神無月ミズハ様の作品です。

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