CODA公開にあたって&これからのプロジェクト

 現在制作中のSFノベルゲーム「CODA」が9月中に発表できそうです。現在デバッグを進めていただいています。本当にありがたいです。

 

 

コーダについて

 CODAはSF百合ノベルゲームです。全年齢です。
 Webサイト上からゲームを1話ずつDLして進めていきます。1話20〜30分程度です。大学の卒業制作です。展示する予定なので、詳細は追ってブログに投稿します。

 少し複雑なゲームなので簡単に紹介します。

 CODAは、

 ・ゲーム本体

 ・Webサイト

 の2つで1つの「ゲーム」です。プレイヤーはまずWebサイト上でアカウント登録をすることができます。アカウントを作成するとログイン後画面が表示されます。そこで各種パスワード入力やヘルプチャット機能を使用することができます。チャットにはGoogleのAIサービスを使用しています。友人に協力してもらっています。

 Webサイトにゲームをアップロードしているのは、主人公コーダくんです。サイトからゲームは始まっています。

ネタバレについて

 OKです。こちらから制限をかけることはありません。スクショも引用も制限は一切ありません。

ストーリー

 2XXX年、遠未来。海内都市東京は過去の戦禍を二度と起こさぬよう、個人の行動を逐一観察する超監視社会となった。娯楽は制限され、家族は解体された。子供達は初等教育までの記憶を消され、親を持たずに生きる。人々はそれなりに幸せに暮らしているが、主人公・コーダはなんとなく馴染めずにいた。友人のレガート、気の合わないパートナーのリフとだけ顔を合わせる日々。

 コーダはたまに会うプラチトという暗く寡黙な女子学生になんとなくシンパシーを感じていた。だがある日、大学生初の処刑者がプラチトだということが発覚する。公開処刑される彼女。沸き起こる喝采。これをきっかけに、コーダの身の回りでおかしなことが起き始める。

 

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リリース直前一言

 辛すぎて人間関係を3回壊しました(今は修復できていると信じたい)。
 サイコパスもいませんし胸糞展開もないので、安心してプレイができると思います。

「俺が書けるのはサイコパスだけじゃないと証明してやるよ(暗黒微笑)」と調子に乗った結果精神がボロボロになりました。未熟さを痛感しました。

 

 自分はコーダくんの記憶をこの時空に届けるお手伝いをしたまでです!

 

これからのプロジェクト

 やっと動き出せます、ご協力いただいている方、何もご連絡差し上げず申し訳ない……

 ・以前から進めていたリメイクゲームをFriday Crystal Palace 改め 「Lack of Heaven」と改題し、シェアゲームに切り替える予定です。日本語だと「楽園が足りない」です。頭に「らく」が共通しているのがいいなと思いつけました(なんだそれは……)

 ADVですが、よりゲーム性を付加できないかと考えているところです。グラフィックはかなり進んでいるので、完成させたい……。CODAとは反対に、クラシックでレトロなテイストです。舞台はWW1、ベルギーあたりのどこかの街、ということになっています。薬物を巡るお話です。

 

 ・もう1つ18禁アダルトゲーム

 1年前からつらつら考えていたゲームです。タイトルは「ベオグラード・メトロの子供たち Children of Belgrade Metro」で多分決まりです。セルビアの首都ベオグラードのお話になる予定です(限りなく似た街となる可能性もある)。

 現在、ベオグラードにはまだメトロが通っていません。資金不足により何回も計画が頓挫しています。その状況を踏まえ、未来に地下鉄が通りかけるも工事が中断され、そこに子供達が住み着いたらどうなるだろう、というお話です。


 もっと詳しく:近未来、女性の社会進出により完全なる男卑女尊となったベオグラード。そんな中、限られた人間が超能力を使用できるということが明らかになる。社会のヒエラルキーは女性、能力者、無能力者、男性とはっきり分かたれた。
 主人公は無能力者の少年・シズキ。男性でありながら持ち前の勇気と知性でベオグラード・メトロのリーダーにまで上り詰める。男のままでは出世できないと考えたシズキは少女のふりをして社会に出ることを決意する。
 しかしある日、富裕層向けマンション、ベオグラードウォーターフロントに住む美少女・マリヤと出会い、一瞬で恋に落ちてしまう。小さい頃一緒に遊んだことを思い出したのだ。品行方正で誰にでも優しいマリヤ。しかし、彼女は男性をいたぶることが無上の喜びのサディストだった。


 タイトルは「Wir Kinder vom Bahnhof Zoo(我らが動物園駅の子供たち)」から取りました。「クリスチーネ・F」という邦題の映画です。

 

公式ガイドブックについて

 制作しています。冬コミが当選した場合に販売されます。

 内容は「MINDCIRCUS」「真昼の暗黒」の設定資料や没ED、解説、後日談漫画等々です。真昼の暗黒については収録を忘れていたEDを掲載する予定です。載せてほしいコンテンツなどありましたらメールかDMにて教えていただければ検討します。

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 受かってにゃん><

 

最後に

 長くなりました。ここまで読んでくださってありがとうございます。
 現在の目標としましては、ゲームで多少なりとも収益を得ることです。院進を検討しており、なおかつゲームを作り続けたいため、収益があると続けやすい、ないときつい、という状況が予想されるためです。

 これに関しては後々記事にしたいと思います。

 

 それでは!CODA遊んでください!!
 

贖罪と命

 というゲームを紹介されたのでプレイした。一言で言えば面白かったし、読めて良かったとなった。あーわかるなーと。猫の虐待はやめてください。否が応でも悲しくなる。物語の登場人物は、猫を殺してしまう。猫を殺すということがなんらかの契機になるな、といつも思っています。良い文章を読めて良かった、文章がうまくて本当に読み応えがありました。本を読む際に求める充足感を感じられ、とても満足しています。

 手記1は主人公が弟を殺します。殺したと書かれているのだから殺したんだと思います。主人公が弟を黒い霧であったと記述しているところに卑怯さを感じました。そんなはずはないのですが、主人公は確かに弟を黒い霧だと認識して、それを振り払おうとして殺してしまったと。だから僕は、僕のうちになんらかの欠陥を抱えていて、それが原因であるから黒い霧が見え、弟を殺してしまったんだ。僕は悪くない。しかし主人公はその狡さも自覚しているんだと思います。罪悪感に苛まれているので、やはり心のうちでは弟を愛する気持ちもあったのでしょう。人間には相反する感情が必ずあるものなので不思議ではありません。でも口では可愛いとか天使とか言っときながら実際そんなこと1ミリも思ってなかったことは確実です。

 手記2では施設での主人公と弟とKという怖い女の子と木村という変な奴が出てきます。あのさ!!!ロリータ読む女子とかぜってーモテねえだろ。Kお前どうせロリータをエロ本だと思って読んだろ。残念だったな。でも読んで何かしら感じるところがあったのなら良かった。女の子がロリータを読むってことはおそらく自分がロリータとしてまだ価値があるとわかっていたからなのでしょうね。Kのカリスマっぽさもなんとなく感じ取れました。ナボコフなんか読む卑屈さと女の子らしい開けっぴろげさをうまーくコントロールできるから、魔性の女になれたのです。これ以上ロリータについて話すとあらぬ疑いがかかるのでもうやめます。

 主人公は眼球を舐められてドキドキしますが、まあ女の子から突然そんなことされたらそうなりますよね……。木村もお前、やるな……。施設長のキャラクターが脇役ながら立っていて良かったです。張り付いた笑みの感じ。自分も不登校の時にそういう人間と多々会ったことがありますが笑みが完璧なのでどこか不安にさせるんですよね。でも悪い人たちではないです。絶対に。その善意が自分にだけ向けられないというだけで。

 大学生ボランティアが出てくる下りはかなり心が痛かったです。だってあいつらは普通に子供をルックスや愛想で差別するクズみたいな奴らなのに子供たちは少しでも構ってもらおう、わかってもらおうとするんですよ。でも往往にして良い結果にはならない。良い例が主人公とミナミという大学生の会話です。大学生は主人公の発言により傷を負って泣いてしまいます。施設長はうまくその場をとりはからいます。これは勝手な妄想ですが、大学生たちはその後レポートでもっともらしく傷を抱えた子供たちとの”ふれあい”を描くのでしょうね。吐き気がしますよねー。

 手記3では主人公に彼女ができます。こういういい人じゃないと主人公の彼女にはなれないなと思いました。その彼女を自ら手放すのも自分を損なう行為の一つなのでしょう(この表現がとても好きです)。自傷しながらも生きながらえる主人公。なんかそれじゃダメだし、彼女と僕は違う世界に生きているような気がする、そんな思いを抱えた主人公は彼女との別れを決意します。主人公は彼女の納得する別れの説明は言えません。でも彼女は去ってくれた。優しいです。女の人は付き合えば好きになってしまう。男の人はそうでもない。みたいな感じなんでしょうかね。まあなるようにしかなりませんよね。多分彼女に主人公の思考回路はわからないが、とにかく主人公が幸せになるんだったらいい、という思いで、申し出を受け入れたのかなと思います。

 最後の手記4では、主人公は弟を殺したことについて自首することに決めます。

 流れはこのようになっています。自分は今この作品を読み終わったばかりで文章がかなり雑になっていますし、読み間違い、理解のできていない箇所がありましたら本当に申し訳ありません。きちんとした文章に直そうとも思ったのですが、フレッシュな感想の方が個人的に書き易かったので、このまま行きます……

 作者様はサルトル「大戦の週末」を意識しているとブログでおっしゃっているのを発見しました。私は実存主義について詳しいわけでもないですし、その辺について突っ込んで感想を言うことはできませんが、私の少ない知識で言及するならば、生きているのだからそれに意味づけをする、と言う点において主人公はかなり葛藤していたのかなと思います。だから途中何回も死のうとしていた(が、中断するなり死ねなかったりしていた。私はここについては、単に気持ちが弱いから死ねなかったんじゃなくて痛かったから反射的に無理だっただけでは、と思いました。死にたいのと痛さを我慢できる能力は別なんじゃないかと思います。どうでも良いですが…)。

 私の頭にちょっと浮かんだのはサルトル「嘔吐」の栗の木の根元を見た時の文面でした。あの文章はかなりぐにゃぐにゃしていて読んでいる方までめまいがしてきそうなものでした。この贖罪と命という作品はまさにそのぐにゃぐにゃ感を追求したものなのではないかと思いました。つまり、自分が存在している、海が、ヒトデが存在している、ということについての気持ち悪さです。それには全く意味はありませんが主人公は人間ですからなんらかの意図を感じ取ってしまったのではないかと思いました。だから最後、自首することで自分が生きるという意味づけをしたのかな、と理解をしました。だから主人公は本当は真面目なんだけれども、やっぱガードレールに母性のような白い安心感を抱いてしまうので、なかなか不真面目になることが難しいんですよね。タルコフスキーノスタルジアも文中に出てきました。惑星ソラリスしか見たことがありませんが、あの白くてふわふわして行き所がない感じは、この作品に共通した部分があるな、なんて思ったりしました。主人公が人殺しに罪悪感を感じるのはドストエフスキーの作品を思い出しました。カラマーゾフとか罪と罰とか。私がいつも個人的に思うことは、やはり人殺しに罪悪感があった方がドキドキするな、興奮する、というなんとも下世話なことです。しかし、これらの作品はかなりこちらの心の虚を突いてくる感じがしますし、贖罪と命もまたそうです。

 結論としては、私は非常に主人公の気持ちについて(嫌悪感を感じつつ)入り込むことができました。それは文章力の高さとよく考え込まれた比喩表現からなるものだと確信して言えます。この文章は理解しがたいと意見があるのもわかります、しかし多かれ少なかれ人はそういう部分を持っているものだと思います。ただ、主人公はその部分が多すぎた。わからなくもないんですけど20過ぎてそれだとマジで生きづらそうですね…
 最後に、万年筆と神経毒というサークル名がかっこよすぎてはあ…となってしまったので、起動を強くお勧めします。神無月ミズハ様の作品です。

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